円周率が3.14でも月まで行ける?!
〜気象衛星「ひまわり」軌道制御の現場から〜
概要
「円周率は無限に続く」と聞くと、宇宙開発には膨大な桁数が必要だと思いがちです。しかしNASAでさえたった15桁しか使っていません。この発表では、気象衛星「ひまわり4号」の軌道制御開発に携わった経験をもとに、厳密な計算より実践的な備えが重要という教訓と、当時のコンピュータ事情をお話しします。
1. NASAは円周率を何桁使っているか?

驚きの事実:たった15桁
NASAのジェット推進研究所(JPL)では、惑星間航法の最高精度計算でも円周率は15桁(3.141592653589793)しか使いません。
| 距離 | 15桁での誤差 |
|---|---|
| ボイジャー1号(太陽から約254億km ≒ 1光日) | 約4cm(指1本分) |
| 観測可能な宇宙(約465億光年) | 水素原子1個分(39-40桁で十分) |
254億kmってどのくらい? 光の速さ(秒速30万km)で丸1日かかる距離。 新幹線(時速300km)なら約10万年かかります。そこまで行って4cmのズレ!
※ボイジャーの距離は太陽からの距離。地球は公転しているため、地球からの距離は日々変動します。 ちなみにボイジャー1号は「星間空間」にいますが、まだ太陽系の中。オールトの雲(太陽系外縁)到達まであと300年!
円周率は100兆桁以上計算されていますが、宇宙規模でも40桁あれば原子レベルの精度が出せるのです。
2. 気象衛星「ひまわり4号」での経験

ひまわり4号の概要
- 打ち上げ: 1989年9月6日(H-Iロケット5号機)
- 軌道: 静止軌道(高度約36,000km、東経140度)
- 運用期間: 1989年12月〜1995年6月
私の役割:博士たちへの「通訳係」
軌道制御システムの開発チームでコードを書いていました。
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国家事業なので、名だたる企業が集結。衛星本体は大手電機メーカー、開発環境は重工メーカーの施設で大型汎用機を使用していました。
都市伝説?「5kgのプロパンガス」
チームで聞いた話ですが、衛星には5kgのプロパンガスボンベが搭載されていて、姿勢・軌道制御のために「コックを捻ってシューッとガスを出す」のだとか。
実際の軌道制御は、静止軌道といっても太陽風や月の引力でズレていくため、許容範囲を超えたらスラスター(ガスジェット)を噴射して修正します。
3. 当時のコンピュータ事情

汎用機の時代
| 項目 | 当時(1989年頃) | MacBook Air M4(2025年) |
|---|---|---|
| 開発環境 | 国産の大型汎用機(IBM互換) | 13インチノートPC |
| 言語 | FORTRAN 77 | Python, TypeScript, etc. |
| コンパイル | 1日に数回(運が悪いと1-2回) | 秒単位 |
| 衛星搭載CPU | 4bit か 8bit | Apple M4(10コア) |
| メモリ | 極めて限定的 | 16GB〜32GB |
| 重量 | 部屋いっぱい | 1.24kg |
なぜ「IBM互換」? 1970年代、国策で国内メーカー6社が3グループに再編。各グループがIBM互換路線を選択し、IBMより安価で日本語処理に優れ、ソフト資産も活かせる戦略でした。後にIBMとの著作権紛争(1982-1988)を経て和解。
ミスタイプは許されない
複数のエンジニアが1セットの汎用機を共有していたため、コンパイルのタイミングを見計らう必要がありました。すいている時間を狙っても1日に数回。タイプミスでコンパイルエラーなんて出したら、その日の作業が止まります。
bitハンドリングの世界
衛星に搭載されるのは4bitか8bitの極小コンピュータ。「高級言語」FORTRANで書いたコードも、最終的には衛星搭載CPU用のアセンブリに変換されます。
メモリが貴重なので、1つのフラグに1bitが当たり前。今の皆さんは1つのフラグに何bit使っていますか?(boolean = 8bit? それとも32bit?)
4. でも、月には行けた

アポロ計算機のスペック
ひまわりより20年前のアポロ計画。月面着陸を成功させた「アポロ誘導コンピュータ(AGC)」のスペックは:
| 項目 | アポロAGC(1969年) | ファミコン(1983年) | MacBook Air M4(2025年) |
|---|---|---|---|
| クロック | 2.048 MHz | 1.79 MHz | 約4,400 MHz(4.4GHz) |
| メモリ | RAM 4KB | RAM 2KB | 16GB(16,000,000KB) |
| ストレージ | ROM 72KB | カセット最大1MB | SSD 256GB〜2TB |
| 重量 | 約32kg | 約620g | 1.24kg |
現代のスマートウォッチ以下の性能で、人類は月に行きました。
そして今、あなたのカバンにはアポロの400万倍のメモリを持つMacBookが入っています。
なぜ可能だったか?
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アポロは人間系もすごかった。宇宙飛行士が窓から星を見て位置を確認し、必要なら手動で軌道修正。機械と人間の協業で月面着陸を成し遂げました。
5. ソフトウェア開発への示唆
| 宇宙開発 | ソフトウェア開発 |
|---|---|
| 計算誤差は必ず存在 | バグは必ず存在 |
| 許容誤差を定義 | 許容品質レベルを定義 |
| ずれたら修正 | 監視して修正(DevOps) |
| 燃料は有限 | 予算・時間は有限 |
| 人間系との協業 | AIとの協業(?) |
博士たちから学んだこと
開発チームには博士号を持つ数学者・物理学者がいましたが、意外にもオープンな方々でした。私が疑問に思って確認したことも、理にかなっていれば喜んで訂正してくれる。
さすが数学者、物理学者。真理の前には肩書きも関係ない。
おまけ:表面張力の公式を「再発見」した話
数年後、別業種で再び数学者集団のチームに配属されました。与えられた課題は「自動車のハンドルが歪む計算」。
自分なりに考えて導いた計算式を調べてみると、なんと**『理科年表』に載っている表面張力の公式と同じ**だったのです。
今ならネットで秒殺ですね(笑)。でも当時は、自力で考え抜いた経験が自信になりました。博士たちに鍛えられた「まず自分で考える」姿勢が活きた瞬間でした。
6. まとめ
- NASAでも円周率は15桁で十分
- アポロはスマートウォッチ以下の計算機で月へ行った
- 厳密性より**「ずれたら直す」備え**が重要
- 1日数回のコンパイル時代でも衛星は飛んだ
- 備えあれば、円周率3.14でも月まで行ける
参考リンク
- NASAが円周率を15桁目までしか使わない理由
- 気象庁 気象衛星のあゆみ
- JAXA 静止気象衛星「ひまわり」
- ひまわり4号 - Wikipedia
- MacBook Air (13インチ, M4, 2025) - 技術仕様
- 富士通とIBMの紛争が終結した1987年 - 日経クロステック
